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横浜地方裁判所 昭和33年(モ)1673号 判決

申立人(債務者) 学校法人橘学苑 外一名

被申立人(債権者) 昼間清

主文

申立人等が共同して被申立人のため金百五十万円の保証を立てることを条件として、当裁判所が、被申立人と申立人等間の昭和三三年(ヨ)第四五二号仮処分命令申請事件について、昭和三十三年七月三十日なした仮処分決定は、これを次のように変更する。

申立人等の別紙物件目録及び添附図面の建物に対する占有を解いて被申立人の委任した横浜地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。

執行吏は右建物の建築工事の続行完成を許可した後その現状を変更しないことを条件として申立人橘学苑にその使用を許さなければならない。但し、この場合においては、執行吏はその保管に係ることを公示するため適当の方法をとるべく、申立人等はこの占有を他人に移転し、または占有名義を変更してはならない。

訴訟費用はこれを二分しその一を被申立人の、その余を申立人等の各負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮にこれを執行することができる。

事実

申立人等訴訟代理人は、当裁判所が、被申立人と申立人等間の昭和三三年(ヨ)第四五二号仮処分命令申請事件について、昭和三十三年七月三十日なした仮処分決定は、保証を条件としてこれを取消す。訴訟費用は被申立人の負担とするとの判決並びに取消の部分について仮執行の宣言を求め、もし右申立が理由のないときは保証を条件として主文第一項同旨及び訴訟費用は被申立人の負担とするとの判決並びに第一項について仮執行の宣言を求め、その理由として、

一、被申立人は申立人両名が被申立人と訴外土光登美間の宅地賃貸借契約の条項に違反し、不法に被申立人所有の宅地上に鉄筋コンクリート二階建の建築を施行しているとして、建築中の建物を収去して土地明渡の執行を保全するため、昭和三十三年七月二十二日当裁判所に対し別紙物件目録記載の建物の建築工事中止等の仮処分命令の申請をなし、当裁判所は同月三十日申請人の申請どおり「被申請人等の別紙物件目録及び添附図面の物件に対する占有を解いて、申請人の委任した横浜地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。執行吏はその保管に係ることを公示するため適当の方法をとるべく、被申請人はこの占有を他人に移転し、または占有名義を変更してはならない。被申請人等は右建物の建築工事を中止し、これが続行、其他現状を変更する等一切の処分をしてはならない。」との仮処分決定(但し同年八月五日付更正決定により以上のとおり更正される)をなし、同月三十一日横浜地方裁判所執行吏木村慎治郎は右決定正本にもとずき仮処分の執行をした。

二、しかしながら、本件仮処分については、次のような特別事情があるから、本件仮処分は取消されるべきものである。

(一)(1)  申立人学校法人橘学苑(以下申立人橘学苑という)は昭和十七年四月、現在の理事長土光敏夫の母亡土光登美によつて私立橘女学校の名で創設され、その後学校法人法の施行に伴い、昭和二十六年三月学校法人橘学苑と改組され、女子の中学校と高等学校とを併設し、私立学校として個性教育を重んじる建前から一組三十名から三十五名という少数教育を行うことを教育運営の基本方針とし、現在中学校生徒百五十五名、高等学校生徒二百十名を収容している。ところで申立人橘学苑の所在する横浜市鶴見区では、近年著しく人口が増加し、これがため中、高等学校の生徒数も増加の一途をたどつているのであるが、これを収容し得る学校施設が不足を極めているため、申立人橘学苑においても、入学志望者が年々増加し、その結果、昭和三十一年から特別教室(音楽教室、料理教室)を普通教室として使用してきたが、それでも教室が不足したため、昭和三十二年十二月に昭和三十三年四月末日までに竣功させる予定で、校舎一棟の建設を計画した。しかし新校舎の規模及び場所等の決定が遅れたため、やむを得ず、昭和三十三年四月から音楽教室を体育館の一隅に仮設し、料理教室を化学教室と併用し、裁縫教室を附属建物の一室に設け、応接室を図書館として使用すると共に中学二年生(一組二十六人)は二組合併授業を行うこととした。その後新校舎の規模及び場所が決定し、二学期から使用できるよう八月末までに右校舎を竣功することとなつた。そして新校舎は普通教室六室、特別教室(料理教室)一室とし、不足している特別教室は新校舎竣功に伴い従来普通教室に使用していた教室を割当てることとし、一応現状において余裕のない設計をし、なお構造はコンクリートブロツク造(鉄筋コンクリートではない。)とした。従つて、新校舎の建築は申立人橘学苑にとつて学校経営上絶対不可欠の要求にもとずき計画され、昭和三十三年四月末日までに竣功すべきものであつたのにかかわらず、前記の事情からやむを得ず八月末日まで竣功を延期したが、その後順調に工事が施工され、外装、内装等の仕上工事を残すだけで全工事の八〇ないし八五パーセントが完成していたところ、突如本件仮処分を受けたため、申立人橘学苑において生徒数の増加に伴う教室不足に対処するためその実現を企図しつつあつた応急的緩和策が挫折した。

(2)  申立人橘学苑はその結果次のような損害を被ることとなつた。

(甲) 非財産的損害

(イ) 学校教育という公共の利益の侵害

教室の充実は学校教育の基礎であり殊に申立人橘学苑の所在する横浜市鶴見区は前記の如く学校施設が不足を極めその必要性が大きいのにかかわらず、本件仮処分のため申立人橘学苑における教室の不足は依然として解消されないのみならず、新校舎の約半分が本件仮処分によつて工事を中止させられたため、建築用の資材倉庫、仮設物(足場)が設置されたままになつており、その結果テニスコートが使用できない状態であるのみならず、多数生徒が往来する校庭内において事故を起す不安があり、更に本件仮処分により非常階段の設置工事が未完成のまま放置されているので、非常時の危険を防止軽減することができない。

(ロ) 信用の低下

前記の如く申立人橘学苑の校舎は極めて狭隘であるため生徒並びに父兄等は新校舎が九月の新学期から使用できることに多大の期待と喜びを持つていたところ、突如本件仮処分を受け、新校舎の一部分が使用できないまま放置されることにより申立人橘学苑の学校経営に対する不信と疑惑の念を生徒、父兄及び社会一般に抱かしめ、このため私立学校の経営において最も重要な社会的信用を著しく害されており、特に現在は来年度の入学生を募集する時期であるので、これに面白からぬ影響を与えている。

(ハ) 教育運営上の著しい支障

元来申立人橘学苑は創立当初から将来の生徒数の増加に備え、遠大な建設計画を以て発足し、これまで数回に校舎増築工事をなし、今回の新校舎建築工事もこの遠大な建設計画の一環として実施されつつあつたが、本件仮処分により右の一貫した校舎増設計画が挫折したため、生徒数の増加に伴う教室の不足を緩和することができなくなつたので申立人橘学苑の教育の運営に著しい支障を生じており、特に新校舎には料理教室が新設されることになつているのに、本件仮処分によりこれが使用不能となつたことは、女子学校として料理教育には特に期待を抱いている学校当局者として堪えられない苦痛である。

(乙) 財産的損害

申立人橘学苑は、本件仮処分を受けたまま未完成部分の工事を放置するときは、工事の注文者として、請負人である申立人丸石工業株式会社(以下申立人丸石工業という)が被る本件仮処分による工事中止に伴う後記の損害を賠償しなければならないし、また既に丸石工業に支払つた請負代金六百五十万円のうち二百六十万円は無益の支出と化し同額の損害を被るのである。

(二)  申立人丸石工業は、新校舎建築工事の請負人として、本件仮処分により、次のような損害を被ることとなる。

(イ)  建築中の新校舎中本件仮処分を受けた部分は外部の防水工事が未施工であり、且つ二階の窓ガラスが入れてないため、このまま工事を中止されれば水分を吸収し易いブロツク建築の性質上、一、二階の床板及び出入口枠が腐食もしくは使用不能に陥り、使用可能の状態に取戻すため約三十万円の無益の支出を要し、同額の損害を被ることとなる。殊に本件仮処分を受けている部分とそうでない部分とは廊下で連なり、遮るものがないので風雨の強いときは本件仮処分を受けない部分も使用不能に陥るおそれがある。

(ロ)  本件仮処分を受けた工事部分には仮設物(足場)が設置されているが、このまま工事を中止されればその損料として一ケ月四万五千円の無益の支出を必要とし、同額の損害を被ることとなる。

(ハ)  本件仮処分を受けた工事部分には仮設電灯が設置されているが、このまま工事を中止されれば電灯の基本料金及び電灯線損料として一ケ月金一万五千円の無益の支出を要し、同額の損害を被ることとなる。

(ニ)  本件仮処分を受けた工事部分の工事がこのまま中止されれば職方に対する支出その他の経費として一ケ月二十万円の無益の支出を要し、同額の損害を被ることとなる。

(ホ)  申立人丸石工業の請負代金は九百七十一万六千七百円で三回に分割して支払われる約束であつたところ、既にその出来高は八百二十五万九千百九十五円に及んでいるが、請負代金の受領金額は二回分として六百五十万円であり、三回分は工事竣功後支払われることになつているので、このまま工事を中止されれば、その差額百七十五万九千百九十五円の支払を受けられず同額の損害を被ることとなる。

(三)  被申立人は、本件仮処分決定がないと本案訴訟で勝訴の判決を得てもその執行に著しい困難をきたすと主張するのであるが、本件仮処分を受けた工事部分は既に外部が全部完成しており、残るは非常階段の仕上工事を含む左官、塗装などの仕上工事だけであるから、本件仮処分が取消されることにより右の残存工事を完成しても、これがため将来の強制執行に著しい困難をきたすようなことはなく、仮に仕上工事をしたために被申立人に損害が生ずるとしても、その損害は本件仮処分を受けた建物部分の撤去を求めるあいだ敷地四十六坪六合を使用し得ないというだけのことで、その損害は金銭で充分補償し得られるものであるのみならず、その損害額は右敷地の賃料が一ケ月一坪当り金三円であるから、四十六坪六合で一ケ月金百四十円に過ぎない僅少のものである。

三、以上のとおり

(一)  申立人両名は本件仮処分により通常受ける損害よりも莫大な損害を被るのみならず、申立人橘学苑において教育を受けている多数生徒の公共の利益も侵害される。

(二)  本件仮処分の取消によつて被申立人の被る損害については金銭的補償が可能であり、しかもその損害額は僅少である。

(三)  本件仮処分により被申立人の受ける利益と申立人両名の被る損害とは格段の差異がある。

よつて、本件仮処分の取消を求めるため、本件申立に及んだと述べ、疎明として、甲第一ないし第六号証、第七、第八号証の各一、二、第九号証の一ないし三、第十号証の一、二、第十一号証、第十二号証の一ないし三、第十三号証の一ないし七、第十四号証を提出し、証人渡辺節子、伊藤忠夫の各証言を援用し、疏乙第一号証の成立につき不知と述べた。

被申立人訴訟代理人は申立人等の本件申立を却下する。訴訟費用は申立人等の負担とするとの判決を求め、答弁として、

申立人等主張事実一はこれを認める。二の事実中冒頭の主張はこれを否認する。(一)の主張中(1) の事実は新校舎の構造がコンクリートブロツク造であるとの点を否認し、その余は不知。(2) の事実はすべてこれを否認する。(二)の主張中(イ)の事実は外部の防水工事が未施工であり、且つ二階の窓ガラスが入れてないことを認め、その余はこれを否認する。(ロ)の事実中本件仮処分を受けた工事部分に仮設物(足場)が設置されていることはこれを認めるが、その余は否認する。(ハ)の事実は不知。(ニ)の事実は否認する。(ホ)の事実は不知。(三)及び三の各事実はこれを否認する。

申立人等は、本件仮処分により通常受ける損害よりも莫大な損害を被るのみならず、申立人橘学苑において教育を受けている多数生徒の公共の利益も侵害されると主張しているが、申立人橘学苑の主張する甲(イ)学校教育という公共の利益の侵害及び(ロ)信用の低下は仮にかかる事実があるとするも、仮処分によつて通常受くべき損害であることが明らかであるから、本件仮処分を取消すべき特別事情があるといえないこと勿論である。また同申立人の主張する(ハ)教育運営上の著しい支障についても、教室の不足があるとすれば教育の運営に不便を来すとは考えられるが著しい支障を生ずるとは考えられない。元来仮処分を取消すべき特別の事情にあたると認められるべき学校運営支障の程度は客観的判断に重点を置くべきであつて学校自体の主観的判断によつてのみ決すべきでないことはいうまでもない。しかして客観的判断の資料としては他校との校舎使用状況の比較に求めることが最も妥当であるところ、申立人橘学苑と横浜市鶴見区に所在する他の中、高等学校の校舎の建坪数、生徒数及び一組の生徒数を比較し、生徒一人についての校舎使用割合坪数を算出すると、次のとおりである。

1  県立鶴見高等学校

一組の生徒数 五十名

生徒総数 千百名

校舎建坪数 千七百四十六坪

生徒一人についての校舎使用割合坪数 約一坪五合

2  京浜女子商業学校(中学部、高等部共)

一組の生徒数 六十名

生徒総数 千二百名

校舎建坪数 千三百六十一坪

生徒一人についての校舎使用割合坪数 約一坪一合

3  鶴見女子中学校、同高等学校

一組の生徒数 五十名

生徒総数 三千三百名

校舎建坪数 二千二百坪

生徒一人についての校舎使用割合坪数 約六合六勺

4  申立人橘学苑

一組の生徒数 平均三十三名

生徒総数 三百六十六名

校舎建坪数(新校舎を含まず) 約五百七十三坪

生徒一人についての校舎使用割合坪数 約一坪五合六勺

すなわち、申立人橘学苑は従来の校舎だけで最も余裕のある学校であることが明らかである。従つて、申立人橘学苑の新校舎建築工事は学校運営上の著しい支障を除くということではなく、むしろ現在普通の運営をしているが、その運営に一層の便益を図るためとみるべきであり、この点について特別の事情があると認めるべきではない。

次に被申立人は、申立人等が本件仮処分により財産的損害を被ることもこれを争うものであるが、仮に申立人等が多少の財産的損害を被るとしても、それは建物工事中止仮処分の場合に被る通常の損害の範囲を出るものではない。更に申立人等は本件仮処分が取消されることにより残存工事を完成しても、これがため将来の強制執行に著しい困難をきたすようなことはないと主張するけれども、申立人等が、新校舎建築工事請負代金は九百七十一万六千円であり、工事完成部分は全体の八〇ないし八五パーセントであると主張するところからみても、残存工事部分は約一五ないし二〇パーセントであり、その請負代金割合は一五パーセントの場合は百四十五万七千四百円、二〇パーセントの場合は百九十四万三千二百円となり、その平均割合は百七十万三百円であり、従つて、申立人等が右工事を完成するには更に右の平均割合金額だけを費さねばならないわけで、換言すれば、右工事が完成した場合は、それだけ将来の強制執行による原状回復に困難をきたすことになるわけで、申立人等の主張は当らない。

と述べ、

疎明として、乙第一号証を提出し、証人昼間伍郎の証言を援用し、疎甲第一ないし第三号証、第六号証、第十二号証の一ないし三、第十三号証の一ないし七の各成立を認め、その余の甲号各証の成立につき不知と述べた。

理由

申立人等主張の一の事実は当事者間に争いがない。

成立に争いのない疎甲第六号証、第十二号証の一ないし三、第十三号証の一ないし七、証人渡辺節子の証言により真正に成立したと認める疎甲第四、第五号証、第七、第八号証の各一、二、第九号証の一ないし三、第十号証の一、二、第十一、第十四号証、証人渡辺節子、伊藤忠夫の各証言を綜合考察すれば、申立人橘学苑は昭和十七年四月現在の理事長土光敏夫の母亡土光登美によつて私立橘女学校の名で創設され、その後学校法人法の施行に伴い、昭和二十六年三月学校法人橘学苑と改組され、女子の中学校と高等学校を併設し、現在中学校生徒百五十五名、高等学校生徒二百十一名を収容し、私立学校として中学から高校までの一貫した学制と一学級三十名ないし四十名という少数教育と特別教室の充実とによつて、普通の教科目の外に作文、読書、園芸、宗教などの時間を設け、あくまでも型にはまつた教育を避けながら、一人一人の能力に応じ、その個性を伸ばし、独立心を養うという個性教育を教育運営の基本方針としていること、申立人橘学苑は創立以来生徒数の増加に伴い終戦後既に二回にわたり校舎の増築をしたが、申立人橘学苑の所在する横浜市鶴見区における最近の著しい人口増加に伴う入学志望者の激増に対処するため、昭和三十一年から音楽教室、家庭科教室等の特別教室を普通教室に流用して辛うじて教室不足をしのぎつつあつたが、昭和三十三年の新学期には更に普通教室二室の不足が見込まれるうえ、音楽及び家庭科教室の外に図書室、料理教室等を必要とするので昭和三十二年十一月の理事評議員会において、現在校舎の背後に六教室を内容とする校舎一棟を昭和三十三年四月までに建設することを決定し、これを公表して昭和三十三年度の生徒の募集をしたこと、しかし校舎増築工事の設計に変更を加えたため工事の着手が遅れることとなり昭和三十三年の新学期にまに合わなかつたため、やむを得ず右新学期から音楽教室を体育館の一隅に仮設し、料理教室を理科教室と併用し裁縫教室を附属建物の一室に設け、応接室を図書室として使用し、中学二年生は二組合併授業をしてきたこと、その傍ら申立人橘学苑は同年四月十日申立人丸石工業とのあいだに、竣功期同年八月末日、代金九百七十一万六千七百円の約定で校舎増築工事の請負契約を締結し、申立人丸石工業をして右増築工事を施行させ、その後工事は順調に進捗し、外装、内装等の仕上工事だけを残し、全工事の八〇ないし八五パーセントが完成していたところ、本件仮処分を受けたこと、右工事により建築される新校舎は設計変更によりブロツク造(鉄筋コンクリートではない)二階建で、その規模は普通教室六室、特別教室(料理教室)一室で、不足している特別教室は新校舎竣功に伴い従来普通教室に使用していた教室を割当てることとしたものであるが、本件仮処分は新校舎の東側約半分すなわち一階料理教室、二階普通教室二室に相当する部分につきなされたもので、西側約半分すなわち一、二階とも普通教室二室宛の部分は本件仮処分の対象となつていないため、同年八月下旬、工事完成により二階二教室は高等学校二年二組が、階下二教室は中学二年生二組がそれぞれこれを使用し、中学二年生二組がこれまで合併授業により使用していた普通教室一室は図書室に充てて、ある程度教室の不足は緩和されているが、本件仮処分により完成間近の普通教室二室、料理教室一室に相当する部分の残存工事が中止させられたため、依然として教室の不足による授業の不円滑を免れず、申立人橘学苑の特色である個性教育の実現が妨げられているのみならず、生徒及び父兄が大いに関心を持つている校舎増築工事の一部が本件仮処分により中止を命ぜられたため、学校当局に対する生徒及び父兄の信頼に動揺を生じさせており、今後本件仮処分がそのまま存続するにおいては、申立人橘学苑に対する生徒及び父兄ひいては一般社会の信用が低下するに至るのは必至であること、更に校舎増築工事の中途において本件仮処分を受けた結果、工事現場に工事材料が残存し、仮設物(足場)も設置されたままとなつているため、申立人橘学苑としてはテニスコートの使用ができないのみならず、生徒の通行にも不便を感じていること、次に申立人丸石工業においては本件仮処分を受けた工事部分は外部の防水工事が未施工であり、且つ二階の窓ガラスが入れてないため、(この事実は当事者間に争いがない)本件仮処分を受けたまま放置し、今年の冬を経過すると、水分を吸収し易いブロツク建築の性質上、床板、出入口粋等に腐蝕を生じて使用不能に陥るおそれがあり、従つて使用可能の状態に戻すため約三十万円の費用を必要とし、同額の損害を被るおそれがあり、なおこのまま放置すれば、本件仮処分を受けた部分の腐蝕が既に完成している残り半分の新校舎の使用にも悪影響を及ぼすおそれがあり、これを防止する工作費として約三万円の支出を要し、同額の損害を被るおそれがあること、その外申立人丸石工業は仮設物(足場)の維持保存その他工事現場の管理等に本件仮処分を受けなかつたときよりも若干多額の費用の支出を余儀なくされることがそれぞれ疎明され、他に右の各疎明を覆えすに足る資料はない。

申立人等は本件仮処分により学校教育という公共の利益も侵害されると主張するが、仮に公共の利益が侵害されるとするも、それは場合により権利の濫用として仮処分を違法ならしめ、仮処分異議の事由となるに止まり、仮処分を取消すべき特別事情にはあたらないと解すべきであるから、右の主張はその理由がない。

次に、申立人等は本件仮処分を受けたまま未完成部分の工事を放置するときは、申立人橘学苑は工事の注文者として請負人である申立人丸石工業が被る本件仮処分による工事中止に伴う後記損害を賠償しなければならないし、また既に申立人丸石工業に支払つた請負代金六百五十万円のうち二百六十万円は無益の支出と化し、同額の損害を被る。申立人丸石工業は請負人として本件仮処分により(イ)前認定の床板等の腐蝕による損害約三十万円の外に(ロ)仮設物(足場)の損料として一ケ月四万五千円の損害を被る。(ハ)仮設電灯の基本料金及び電灯線損料として一ケ月一万五千円の損害を被る。(ニ)職方に対する支払その他の経費として一ケ月二十万円の損害を被る。(ホ)出来高工事代金八百二十五万九千百九十五円のうち未払となつている百七十五万九千百九十五円は工事竣功後支払われる約定であるのでその支払を受けられず、同額の損害を被ると主張するけれども、本件仮処分は本案訴訟の判決確定まで暫定的に建築工事の中止を命じたのに過ぎないものであるから、本件仮処分により直ちに申立人橘学苑より申立人丸石工業に支払つた請負代金の一部金二百六十万円が無益の支出と化し、申立人橘学苑において同額の損害を被ると断定したり、或いは出来高工事代金の未払部分百七十五万九千百九十五円の支払が受けられず、申立人丸石工業において同額の損害を被ると解することは早計であるのみならず、申立人丸石工業がその主張する(ロ)(ハ)(ニ)の各損害を被ることについてはその主張に添う証人渡辺節子、伊藤英夫の各証言は当裁判所の採用しないところで、他にこれを認めるに足る適切な疎明資料がなく、本件に現われた全疎明資料によれば申立人丸石工業は前認定の如く仮設物(足場)の維持保存その他工事現場の管理等に本件仮処分を受けなかつたときよりも若干多額の費用の支出を余儀なくされるものと一応認定するの外はなく、更に申立人橘学苑が申立人丸石工業に対し仮に前認定の床板等の腐蝕による損害約三十万円の賠償をしなければならないとしても、後記説明の如く、かかる損害を被ることは本件仮処分を取消すべき特別の事情に該当しないと認めるので、申立人等の前記主張は全部これを採用しない。

そこで以上認定の事実について考えてみるに、申立人丸石工業は申立人橘学苑から校舎増築工事を請負い、申立人橘学苑の計画した校舎増築工事を実施し、申立人橘学苑の企図している教育運営の基本方針の実現に協力しているもので、申立人橘学苑と申立人丸石工業とは目的手段相互依存の関係にあるものであるから、本件仮処分により被る損害については申立人両名を一体として観察し、その一方について生じた損害は双方共通の損害として考察するのを相当とするところ、申立人橘学苑の他の学校と異なる特色は中学から高校までの一貫した学制と少数教育によつて個性教育を行うことを教育運営の基本方針とし、これを実現すべく普通教室六室、特別教室(料理教室)一室を内容とする新校舎の建築工事を計画し、昭和三十三年八月未日までに竣功させる目的を以て該工事を申立人丸石工業をして請負わせ、該工事が順調に進捗していた折柄、本件仮処分を受けるに至つたため、授業の円滑が阻害され、教育運営の基本方針に支障を生じているのであるから、このようなことは仮処分債務者が仮処分により通常被る損害ではなく、本件仮処分により申立人橘学苑のみが被る異常の損害というべく、また精神的要素の強い学校経営特に私立学校の経営においては、生徒及び父兄の学校当局に対する信頼は私立学校存立の基礎ともいうべきものであるから、本件仮処分によりこの信頼に動揺を生ずるに至るということは申立人橘学苑としては堪えられない苦痛というべく、従つて、申立人橘学苑はこの点においても本件仮処分により異常の損害を被つているものというべきである。しかしテニスコートの使用ができないとか、生徒の通行に不便を感ずるとかいうような学校経営上の支障或いは工事中止に伴う未完成校舎の一部腐蝕による損害発生のおそれの如きは、特段の事情の認められない限り、建築工事中止等の仮処分に通常伴う損害として仮処分債務者において忍容すべきものと解するのを相当とする。

以上説明のとおり、申立人等両名は本件仮処分により通常被るべき損害よりも異常の損害を被つていることが明らかである。

被申立人は本件仮処分により申立人橘学苑に対する生徒及び父兄等の信用が低下するも、それは仮処分により通常受くべき損害であり、また教室の不足は本件の場合教育の運営に不便をきたすことは考えられるが、著しい支障を生ずるとは考えられない。元来仮処分を取消すべき特別の事情にあたると認められるべき学校運営支障の程度は客観的判断に重点を置くべきあつて、学校自体の主観的判断によつてのみ決すべきでないことはいうまでもない。しかして客観的判断の資料としては他校との校舎使用状況の比較に求めることが最も妥当であるところ、この比較によると申立人橘学苑は最も余裕のある学校であることが明らかである。従つて、申立人橘学苑の新校舎建築工事は学校運営上の著しい支障を除くということではなく、むしろ現在普通の運営をしているが、その運営に一層の便益を図るためとみるべきであると主張するけれども、申立人橘学苑の特色である少数教育、特別教室の充実等の方法による個性教育は教育運営の基本方針としてそれ自体客観的に正当なもので、法の保護に値するものというべく、決して申立人橘学苑の単なる主観的、恣意的な教育運営の方針ということはできないから、教室の不足が申立人橘学苑の教育運営上支障を生ずるか否かはこの基本方針を阻害するか否かによつて判断すべきもので判断の基準を他校との校舎使用状況の比較に求めることは妥当でない。従つて、被申立人の前記主張はこれを採用することができない。

しかして本件仮処分が被申立人の土地所有権にもとずく建築中の建物収去土地明渡の執行を保全するためなされたものであることは当事者間に争いがなく、本件仮処分の執行当時においては、校舎増築工事は内装、外装等の仕上工事を残すだけで、全工事の八〇ないし八五パーセントが完成していたことは前示認定のとおりであるから、特別の事情の認められない本件においては、本件仮処分が取消されることにより右の残存工事を完成しても、これがため特に将来の強制執行に著しい困難をきたすようなことはなく、右の仕上工事をしたために将来の強制執行にそれだけ余計に費用と時間がかかり損害を被るとしても、その損害は金銭で充分補償することができるということができる。従つて、本件仮処分の被保全権利は金銭的補償を得ることによりその終局の目的を達することができる場合にあたると認めるべきである。右の判断と異なる被申立人の主張はこれを採用しない。

果してそうだとすると、本件仮処分はこれを取消すべき特別の事情があるものというべきである。しかし、右の特別事情は工事中の建物を無条件に執行吏の保管に付し申立人等に対し建築工事の続行等を禁止した部分について認められるものであることは上来説明した事由に照らし明らかであるから、本件仮処分決定は全部これを取消すべきではなく、これを変更し申立人等のために残存工事の続行完成を許し(当初の設計の範囲に限らるべきことはもとより当然である。)たうえ、現状を変更しないことを条件として申立人橘学苑にその使用を許すことにより申立人等の被る異常の損害を避けると共に被申立人の権利の保全を全うさせるのを相当とする。

よつて、申立人等に被申立人のため共同して金百五十万円の保証を立てさせることを条件として主文第一項掲記の如く本件仮処分決定を変更することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条本文第九十三条第一項本文を、仮執行の宣言について同法第百九十六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 久利馨)

物件目録

横浜市鶴見区獅子ケ谷町字大池谷八八四番並びに同所八九九番所在宅地にまたがる建築中の巾約三十一尺五寸、長さ約百二十尺のコンクリート陸屋根ブロツク造二階建家屋の内同所八八四番所在地五百四十八坪上の巾約三十一尺五寸長さ約四十八尺の工事進行中の部分(別紙図面点線を以て表示する)此の建坪約四十二坪外二階約四十二坪

(但し、本件仮処分決定には建物の構造として鉄筋コンクリート陸屋根ブロツク造と表示されている。すなわち「鉄筋」の二字が加えられている。)

図〈省略〉

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